サンティアゴ巡礼【 銀の道 】 4/27 23日目

サンティアゴ巡礼【 銀の道 】

2024/4/27 23日目 Salamanca(サラマンカ) → Calzada de Valdunciel(カルサダ・デ・ヴァルドゥンシエル)


走行距離 15.7 km

走行時間 5:45 - 9:45

気温 2.2 - ?

曇り時々雨

今日はCalzada de Valduncielまで15kmしか歩かない。

次の村はさらに20km先なので、そこまで歩くとなると全部で36.4km歩くことになるからだ。

Calzada de Valduncieには3軒安い宿が有るのだが、2軒は満員。

もう一軒は予約のできない公営宿で、しかもベッドが8つしかないので、おそらくベッド難民が出るだろう。

もし公設宿に入れなかったら、20km先の普通のホテルに泊まるしかない。

それは避けたいのでメチャ早く出発した。

お陰で9:30には宿に一番に到着して、オスピタレイロに電話で到着した旨を連絡すると、5分程でオスピタレイロがやって来た。

何となく、めちゃくちゃスペイン語でも何とか通じることが最近分かってきた。

そして、続々と巡礼者が現れて、12時前には宿は一杯になった。

その頃には雨も強くなって来た。

宿の中はとても寒い。

しかし、その後も巡礼者は現れた。

ドイツ人のおじいさん、台湾人女性の李さん、フランス人のおじさん、別のフランス人のヘミングウェイ似のおじちゃん、そしてアレン。

彼らは床に寝る事にしたようだ。

夏場ならまだしも真冬なみの気温の上に、宿の床は石造りなので、とても冷たくて堅い。

かと言って、この村の他の2軒の宿は満員。

20km先の宿もベッドが空いているか分からない。

別の日にこの宿に泊まった巡礼者によると、その日は宿泊者は4人だけだったそうだ。

これも運。「銀の道」は時に厳しい。

最終的には、ヘミングウェイ似のフランス人のおじさんがドイツ人のおじいさんにベッドを譲り、李さんは私と一つベッドに寝て、ヘミングウェイは居間のソファーに、フランス人のおじいさんとアレンは、私と後述の金さん、サスキア姐さんの提供した掛け布団をマット代わりにして一夜を過ごすことになった。

ここで初めて顔を合わせた韓国人男性の金さんとはこの後、何度か宿で顔を合わせ、お互い食べ物を分け合ったりした。

彼は「ヴィア・フランチジェナ」を踏破したこともある巡礼者。

ヴィア・フランチジェナは、イギリスのカンタベリー大聖堂から、フランス、スイスを経て、イタリアのローマに至るヨーロッパ4カ国をつなぐ、総距離1,700kmに及ぶ古道。

だけど、金さん、英語が全く喋れない。

つまり英語が喋れなくても何とかなるという事だ。

金さん、辛ラーメンを作って、鍋ごとソファーでかっこんでる。

めちゃワイルド。

この宿で、この後、よく一緒に過ごすことになる二人の巡礼者に出会った。

一人は、ヘミングウェイ似のフランス人おじさんのジャン。

もう一人はオランダ人のサスキア姐さん。

サスキア姐さんと金さんはベッドを確保できているので、自分の毛布を床で眠ることになる人に譲っていた。

昼過ぎにオスピタレイロが、再び宿にやって来た。

まだ宿代を払っていない巡礼者の宿泊費を回収するためだ。

そしたら、いつの間にかアレンがいなくなっていた。

しばらくして、しれっと姿を現したアレン曰く、「自分はベッドも使わないし、キッチンもシャワーも使っていない。宿代を払う必要は無い!」だと(笑)

このオスピタレイロはベッドを使わない巡礼者からも宿代を徴収して去っていった。

ベッドを使わないのだから、少しまけてくれたのかと思ったら、皆と同じ5ユーロを支払ったと李さんが言っていた。



早朝5時48分の雨のマヨール広場


7時31分



かまってほしげな馬







8時53分 村らしきものが見えてきた



レンチンの米とスープのもとで昼食を作った



夕食にパスタを作ってアレンにおすそ分け


■本日の宿泊地


本日の宿

全くやる気のないオスピタレイロ。

台所は電子レンジ、冷蔵庫有り。

電気コンロが二口あるが一個は壊れている。

トイレットペーパーがすぐに無くなってしまって、補充品も無かったので要注意。