サンチャゴ巡礼【 ポルトガルの道 】
2023/5/9 30日目 → Santiago de compostera
天候 小雨後晴れ
気温 16.7-?℃
距離 16 km
歩行時間 6:30 - 11:10
リンダさんと一緒に歩いて、本日、とうとうサンチャゴ・デ・コンポステーラに到着。
巡礼事務所で巡礼証明書をもらい、12時からの巡礼者の為のミサに参加。
初めて、フランス人の道を歩いた時は、そんなミサがあることも知らなかったのですが。
そして、ラッキーな事にボタフメイロの儀式をこの目で見る事が出来ました!
感激。
この日は、リンダさんと相方と3人で、バルを3軒梯子して祝杯をあげました。
最後のひと頑張り |
アラメダ公園の有名な二人のマリア |
ちょっと長くなりますが、この二人のマリアについて調べてみました。
この二人はサンチャゴ生まれの姉妹です。
右の背の低い方の女性が13人兄弟の4番目のマルクサ、左側の女性がコラリア。
マルクサ・ファンディーニョ・リカルト(1898年1月4日- 1980年5月13日)とコラリア・ファンディーニョ・リカルト(1914年8月24日 -1983年1月30日)。
マルクサとコラリアは靴職人の父、裁縫士の母の元に生まれます。
1925年、サンチャゴに労働組合連合(CNT)の地域本部が設立された時、彼女達の兄弟のマノロ・ファンディーニョ・リカルトが(15才で!)初代書記長に就任しました。
そして他の兄弟のアルフォンソとアントニオはアナキスト運動の過激派となったのです。
当時のサンチャゴには活気と希望の雰囲気に満ちていたそうです。
1925年といえば、第一次世界大戦の反省を踏まえて国際協調主義がヨーロッパに広まっていた時代ですね。
ところが、その後発生した、1936年7月18日の国家主義者の軍事クーデター、スペイン内戦、フランコ独裁政権によって、一気にスペインは抑圧と恐怖の時代に突入。
マリア達の兄弟は逃げましたが、時のファシスト的政権によってマリア達の家族は迫害を受けます。
兄弟達は最終的には捕まってしまいます。
マリア達の家族は仕事も無くなり困窮しますが、助けてくれる人たちもいて何とか生き延びます。
二人は、1950年代から1960年代にかけて、奇抜な服装と派手な化粧で、毎日午後二時ごろ、ゾナ・ヴェッラ(歴史地区)を一緒に歩き回って、街の人気者になったそうです。
wikiの記事によると、長年の迫害と恐怖が彼女たちの精神をむしばんでいた気配もあります。
まだ、この時代はフランコ政権下ですね。
1994年に彼女たちを記念して、市議会によって、この像が制作されました。
フランコ政権が倒れるのが1975年。
ベトナム戦争が終わった年ですね。
日本では「ベルサイユの薔薇」ブームが沸き上がっていた時代。
今のスペインからは想像できない時代があったんですね。
■wikipediaより
二人のマリア
二人のマリア